三ツ間幸江がシンプルパフォーマンスセラピーを創設した理由。


こんばんは!三ツ間です。

昨日は私が仲間と作りたい夢を
お伝えしました。
その夢は、

自分の本質に気付き
理想のライフスタイルを送る
大人を作ることです!
 
そして、自分の本質とは
合わない場所で働き、
ストレスを溜めたり、

息苦しい人間関係を
毎日送っている大人を0にする
未来を創りたい!

と言うのが私の夢です。
一人の力では無理なので
仲間と達成できるよう
動き続けていきます^^!

こうした夢を強く想っているのには

私の過去の体験が関係しています。
 
 
私は幼少期の頃、
子供が安心できるような
温かい家庭で育っていません。

小学校1年生の時に母親が亡くなり、
生活が一変してから、
私の人生は、我慢と試練の連続でした。

 
父と母は、働き詰めの生活で
やっとの想いで一戸建てを購入し、
引っ越しの時は、新しい新居で
自分の部屋も設けさせてくれて
私は自分のスペースができたことに
毎日はしゃいでいました。

 
『好きなお人形をたくさん飾ろう^^!
これからは自分でこの部屋を
綺麗に保つんだ!』

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と、自分の部屋が
できたことに心が踊り、
綺麗なキッチンになったことで
母親のお手伝いも
進んでやるようになってしました。

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そんな幸せ全開の時に
母親はどんどん体調が悪くなり
いつの間にか入院することになり、

自宅には戻ることなく
たった3ヶ月で亡くなったのです。
34歳でした。

若いだけにガンの
進行が早かったんでしょう。

 
亡くなった後は、
父がとにかく混乱する毎日で、
家事も料理もしたことがない
父でしたから
イライラすることが増えたり、
お酒の量も増えていき、

 
ちょっとしたことで
怒鳴るようになり
家庭内に笑顔が無くなる日々が
続きました。

 
父も疲れ切ってしまい、
食事も、父の会社のお昼に出る
お弁当を多めに頼み、
それを持ち帰って私と兄に食べさせる
日常に変わっていきました。

 
そんな父の状態を見ていて当時
思った事は、

 
『この生活、
いつまで続くんだろう。。。
誰か助けてくれないんだろうか。。。』

 
と毎日考えていました。

 
母親の3回忌が来る前に
私が3年生の時に父は再婚。
3つ上の兄と共に、
私は新しいお母さんができましたが
そこからまた生活がまたまたガラリと
変わりました。

 
亡くなった母のように
優しいかと思いきや、
子供には愛情は無く、
運動会のお弁当を作ってくれることも
なかったです。

 
小学生の私はまだ自分の力で
生きていく事はできない年齢ですから
母親の心無い態度や、
言葉にただ耐える日々。
父親に相談しても、
 
『面倒なことにならないように
お母さんの言うことを
聞いていてくれ。』

 
と味方にもなってくれず
 
『私はこれから
どうやって生きていけば
いいんだろう。。。』

 
と生命の危機さえも
感じたことがあります。

幼少期から成年期まで
本当に辛かったです。

 
お陰で社会人になった時には
見事に自己肯定感の低い大人へと成長し
どんなに頑張っても頑張っても
自分を受け入れられず、

体を酷使しながら働くので
入院の繰り返しでした。

 
ですが、私の心の中で
 
『なんか違った生き方はあるはず。。。
自分の人生って何なんだろう。。。』
 
とずーっと葛藤していました。

 
そんな私も28歳の時に
結婚しましたが
家の中のことだけをやる
主婦業にも向かず、

 
パートで働くような生活が
合わなくて離婚を経験しました。

 
結婚生活がだんだんと
自分じゃなくなっていくような
感じがしたし、
毎日、同じことの繰り返しの人生を
選択することが嫌に
なってしまったのです。

 
離婚をきっかけに私は
人生を自分で変えよう!
と決断しました。
私が理想とするライフスタイルとは
どんなことなのか?

 
自分のやりたいことをやる
人生にしていこう!
と思ってから、
私は日本から飛び出して
様々なセラピーを外国で
学んだりしながら
自分の本質に気付けるように
なりました。

 
そうしたら、
とても生きるのが楽になったんです!
 
 
その経験から、
過去の私のように
未来に対して、夢も希望も無い
大人を増やしたくない!

 
どんなに辛い過去があっても
自分の人生は自分でデザインできる!

 
そう願って、私は
シンプルパフォーマンスセラピーを
創設しました。
小さい頃から、
どん底体験の連続だった私が
どのように人生を変えることが
できたのか?

 
また次のメルマガでお伝えしますね^^!