【やる理由4】引きこもって音楽を大音量でかけていた訳。


シンプルパフォーマンス
プロデューサー三ツ間です。

 
幼少期の時に
母親の死がきっかけで
その後、父親の再婚から
本当のどん底が始まり、
 
 
家族には誰にもオープンになれず
自宅へ帰ったら口を利く事も減り、
自分の部屋に引きこもることが
増えました。

 
唯一の楽しみは
友達と遊んだり、
部活に没頭すること。

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自宅は地獄のような毎日でしたが、
学校は楽しかったことは
本当に救われました。

 
友達や友達のお母さんには
優しくして貰い、

遊びに行く度に
自分のことを受け入れてくれる事の
安心感や、家庭の暖かい温もり、

楽しそうに会話をする
親子関係を見ているだけで
羨ましい気持ちもありましたが
どちらかというと、

 
“家庭の平穏”
 
を見る事で
心が穏やかな気持ちになって
いたのを今でも覚えています。

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自分の家庭内しか
見たことがない私にとって
こんなに温かい家庭もあるんだ。
 
未来に希望を持つことができて、
子供ながらに

 
せな家庭は自分で作れる。』
 
と思えたのです。
 
 
相変わらず子供に対して
心無い言葉を発する
ヒステリックな継母と、

 
それを見て、波風立てないように
気を使う父親。

 
継母を嫌う私と兄。

 
複雑な家庭環境の中で
育った私でしたが
活発的に外で遊んだり、

元々の明るい気質のお陰で
家庭外では楽しく
過ごすことができたことは
恵まれていたと思っています。
 
 
家庭外が楽しかったことで
自立心の芽生えも早くなり、

 
早く家を出て
自分が望む空間、環境で
自由に暮らしたい!

 
という気持ちが
強くなっていきました。

 
とはいっても
まだ、小学6年生。
一人暮らしは出来る訳がないので
自分の部屋が何よりも
穏やかでいられる空間でした。
安心、安全な場所として
家に帰ったら、

継母の愚痴が始まる
“地獄の食事時間”以外は
ずーっと部屋にこもる毎日でした。

学校での出来事など
話をした記憶が無いほど
会話をしないが
当たり前になっていました。

 
時折聞こえる
父と継母の夫婦喧嘩。

 
その喧嘩の原因も
私のことで喧嘩に
なっていたり・・・。

 
継母も心に問題があったのでしょう。

 
・もっと私を大切にして欲しい。
 
・もっと私のことをわかって欲しい。
 
・私は母親になる為に
 この家に来た訳ではない!
 
という要求を父にぶつける毎日。

 
この言い合い、喧嘩が
聞こえることがとにかく嫌で、

 
自分の部屋では
音楽を大音量でかけて
親の言い合いを聞こえないように
自分を防御することも
多々ありました。

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このような子供時代を送った事で
 
私の自己肯定感はどんどん低くなり、

いつの日か、

 
『生まれて
こなければ良かった・・・』
 
と何度も思ったことがありました。
 
冷たい空気が流れる
家庭内で育った私は、
大人になってから
さらなる辛い体験を繰り返しながらも
 
このままではいけない!
 
と心の声が聞こえたかのように
 
『自分にとっての
せって何だろう???』
 
という気付きから
自己探求が始まったのです。